沿革

History

第1章19671996

創業からインドネシア進出まで

  • 1967 ~ 1976
    山登ゴム黎明期

    高度経済成長に支えられ、「作れば売れる」時代の中で
    先代社長・山口藤太郎が個人創業として会社を立ち上げました。
    オイルショックによる物不足は大きな逆風でしたが、
    「ピンチをチャンスに」と奮起し、売価をうまく調整しながら事業を継続。
    苦境を力に変える精神が、この時代に育まれました。

  • 1977 ~ 1992
    会社拡大期

    生産設備を拡充し、ニーダー・インジェクション・冷凍バリ取り機などを導入。
    さらに材料技術(配合設計)、生産技術(金型構造)、品質管理の“三本の矢”を揃え、
    人材育成を通じて会社の基盤を固めました。ものづくり企業としての足腰を強めた時代でした。

  • 1993 ~ 1996
    事業継承と海外進出

    バブル崩壊後、厳しい経営環境の中で「会社を畳んだ方がいいのでは」と言われるほど
    苦しい局面に直面。しかし社長・山口恭司は岐阜県中小企業家同友会との出会いを
    きっかけに経営を学び直し、先代社長である父・藤太郎からの「任せた」という一言で
    二代目社長として歩み始めます。そして1996年、初の海外工場を設立。
    合弁企業として創業期を再び経験するかのように、インドネシアで新たな挑戦に踏み出しました。

第2章19972008

創業からインドネシア進出まで

  • 2000
    インドネシア自社工場竣工

    2000年レンタル工場から自社工場へ。
    2001年にはゴム練りからの一貫生産体制を確立し、現地拠点を自立させました。

  • 2003
    事業承継の本格化

    創業者から現社長へ正式にバトンが渡り、組織拡大に向けた新たな舵取りが
    始まりました。

  • 2004 ~ 2005
    生産規模の急拡大

    顧客からの強い要請に応える形で、工業用地を取得し、生産規模を急速に拡大。
    グローバル競争に立ち向かうための大きな投資の時期でした。

  • 2008
    リーマンショックの衝撃

    世界的な不況により需要が急減。国内では助成金制度を活用し何とか乗り切る一方、
    インドネシアでは補助がなく苦しい状況に直面。逆境に耐え抜いた経験は、外部環境の変化への
    リスク耐性の強化につながりました。

第3章20092020

混迷期から転進期へ

  • 2009
    経営危機を乗り越える

    資金繰りに苦しみながらも、中小企業向けの制度を最大限活用。経営危機を乗り越えた経験は
    「経営を守る力」となり、組織としての粘り強さを養いました。

  • 2015
    世代交代

    創業者が会長職を退き、現社長の長男が取締役に就任。次世代体制への準備が始まりました。

  • 2017
    新ロゴ制定

    創業の精神を反映した新しい会社ロゴを策定。「信頼とこだわりのものづくり」を次の時代へと
    つなぐ象徴となりました。

第4章2021

第2転換期

  • 2022
    もう一度、日本国内でのものづくりへ。

    グローバル競争や環境変化を踏まえ、再び日本国内でのものづくりに注力。
    インドネシアと日本が依存し合うのではなく、それぞれが自立し補完し合う体制を構築。
    新しい時代に向けた第2の転換期を迎えました。